雑文:日本のゲームはダメ? 欧米(米国)のゲームはダメ?

 「日本のビデオゲームってダメ」あるいは「欧米のビデオゲームってダメ」という話は、今に始まったことではなく、太古の昔から(日本では遊撃手があったころから?)よく聞かれる議題ですね。
 作品の性質も、オーディエンスが求めるものも違いすぎて、りんごとオレンジを比較しているようなものです。国内でも、諸外国でも、こういう議 論をしているオープンなフォーラムを見てみますと、大体「俺は日本のゲームはカスだと思う」「いや、欧米のゲームこそクズだよ」という水掛 け論に終始しているように思えてなりません。しかし、一体何がどう違ってこうなるのでしょう ?
 よくよく見てみると、やり玉にあがる作品の多くは、チェス・数独やソリティアのようなアブストラクトなゲームではなく、スーパーマリオやシムシティ、アングリーバードやテトリスのようなゲームでもなく、キャラクター性やストーリー性の強いゲームであることに気付かされます。
 もう一点は、欧米、欧米とは言うものの、大半の場合は米国のゲームについて言われているようであるということです。米国は伝統的にウォーゲームやスポーツシミュレーション(アナログの)が盛んな国なのですが、実は、これが溝の遠因となっているのではないかとも気付きました。
 "You can put a 'J' in front of it, but it's not an RPG..."
 しばらく前に、CRPG/MMORPGで著名なBiowareの開発者が「ファイナルファンタジーはRPGではない。おそらくはアドベンチャーゲームではないか」という旨発言して、ちょっとした非難を巻き起こしたことがありました。
 考えてみれば、RPGというジャンルはゲームの中でも異端中の異端で、コンピュータRPGならともかく、TRPGはルールがプレイ中に変化するという性質上、ゲームの定義から外されることもしばしばです。しかしながら、初期のコンピュータゲームの歴史を紐解いてみると、それなりに大きな部分が異端であるRPG、というよりD&D、に影響されていることがわかります。更に歴史を辿ってみると、日本と欧米のゲームのもっとも大きな違いは、ここにはるか遠いルーツを持つか持たないかに起因しているのではないかと考えることができました。
 バックトゥザパスト
 時間をさかのぼってみましょう。1974年頃は個人でコンピュータを所有することはほぼ無かったため、大半のコンピューターゲームが大学のメインフレーム上で開発されていました。
 最初期のホビイスト向けコンピュータとして、アルテア8800が1974年に発売されていましたが、キーボードはおろかディスプレイもついていませんでしたので、ゲームをやるには問題がありました。当時、CPUが何らかの処理をすると近くに置いてあるラジオからノイズが出ることを発見したユーザーが、どの処理でどの高さの音が出るか解析して(直接の外部出力無しに)アルテアに音楽を演奏させたという有名なエピソードがあります。
 D&Dが発売されて間もない1975年*「PEDIT5」と名付けられたRPGがPLATOシステム上で開発されました。PLATOは、当時としては異例である、512x512という高解像度のディスプレイ、ネットワークといった機能を備えており、ゲームをプレイするには最適な環境でした。
 * 1974年開発としているソースもあるが、制作者本人のインタビューによれば1975年の夏から冬にかけて開発。この変てこなタイトルは彼らのグループに割り当てられた開発用の領域が「PEDIT1-5」だったため、余った5番にゲームを作ろうと試みたのだそう。結局、このゲームは管理者の目にとまり消去されてしまいました。このようにメインフレームで開発されたゲームは消去されて現存していないものが多数あります。
 HP、モンスター、宝といったD&Dの要素をデジタル化することを意図して作られたこの作品は、世界初のダンジョンクロール・ビデオゲームでもあります。ダンジョンの形は毎回固定ですが、モンスターの配置はランダムでした。当時からネットワークゲームが可能であったにも関わらず、シングルプレイヤー用のゲームとして開発された背景には、他のゲームがマルチプレイヤーフィーチャーを標榜するものの、ほとんどが実装されずに終わったからであるとのことです。
 同時期には「m199h」(すぐに消去されたため詳細不明の謎のゲーム)、もっとストレートなタイトルの「DND」といったダンジョンクロールゲームが出現。この中ではもっとも大きな影響力を持つDNDは、ほかのマルチプレイヤーゲームやかの「Moria」にも影響を与えたのだそうです。
 日本のRPGと、この頃の欧米系のRPGの決定的な違いとして「D&D(あるいは、そのルーツであると思われるストラテジ・ウォーゲームやスポーツシミュレーション)を模倣しているかどうか」という点が挙げられます。あくまでもアナログのゲームをコンピューター上で再構成することに焦点を当てていた欧米系のRPGに対し、日本のRPG観は早くから「自キャラを育てたり、戦闘したり、アイテムを集めたり」という形骸化したものでした*。このため、日本ではアクションRPGという、サイドスクロールや見下ろし型のアクションに成長要素などを盛り込んだ中間的なジャンルのゲームが欧米圏よりもはるかに早く登場していますし、この分野においては欧米のゲームデザイナーたちよりもずっとずっと先に進んでいました。というよりも、欧米にはアクションRPGという概念はありませんでした。
 * 日本でRPGが広く認知されるよりも、先にコンピュータ化されたRPGが輸入されて(ドラゴンクエストなどによって)大きく広まってしまったため、と考えるのが妥当そうです。
 にわとりたまご、にわとりたまご……
 1982年リリースの「Dungeons of Daggorath」は、早くからリアルタイム要素を取り入れたシングルCRPGの代表格で、その主観視点のグラフィックや先進的な音響効果とともに「Dungeon Master」等の先駆けになりました。これは、我々が思うアクションRPGというよりは、「RPGアクション」(あくまでもRPGにリアルタイム性を追加したもの――RPGが先――であって、アクションにRPGの要素を盛り込んだもの――アクションが先――ではない)と言えるものです。
 今日、欧米のゲームの顔となっているFPSというジャンルは、このコンテキストから生まれたものではないかと考えられます。少なくとも、日本のゲームと欧米のゲームの歴史を比較してみると、日本からFPSが生まれることはあり得なかったように思えますし、欧米のゲームはコンテキストとして見ると、比較的ロジカルに、ステップをひとつひとつと踏んで現在のFPSへと至っていることがわかります。
1973?Maze War
1977-Oubliette等の3DダンジョンRPG/ネットゲーム
1980-(特にMacintoshで見られた)
数多くの主観視点のグラフィカルアドベンチャー
1980Battlezone等の戦車戦ゲーム
1982Dungeons of Daggorath
1987MIDI Maze?
1991Hovertank 3D/Catacomb 3-D
1992Ultima Underworld/Wolfenstein 3D
1993Doom
 多くのテキストでは、「Wolfenstein 3D」をFPSの元祖としていますが、ここでは「Doom」がFPSの本格的な開花とします。というのは、ウルフェンシュタインまでは平面マップで、見下ろし型の(ガントレットのような)アクションゲームを、主観視点でプレイしているに過ぎなかったからです。「Doom」は、このジャンルとしては高低差を、つまり本当の意味での3Dマップを導入した初めてのゲームでした。
 余談ですが、主観視点ではない3Dのアクションゲームを本当の意味で開花させたのは「スーパーマリオ64」だったのではないかと思っています。それまでは、やはり多くの3Dのアクションゲームが平面的で(そうでないのは「ジャンピング・フラッシュ」くらいのものでした)視点を3D化したのみにとどまっていました。
 ここで、「見下ろし型のアクションゲーム(ダンジョンクローラ)を主観視点でプレイしている」という部分に注意してください。この見下ろし型のアクションゲームのルーツをたどると、数多くあるD&DコンパチのRPG→ストラテジ・ウォーゲームとなるのですが、日本のゲームにこのコンテキストはありませんでした。
 ここに決定的な違いがあります。日本のビデオゲームは、アーケード的なアクションやプラットフォーマをコンテキストとして発展してきました。ストラテジ・ウォーゲームのコンテキストが日本のビデオゲームに入ってきたのは明らかにCRPGブーム以降で、この文化の違いが「イース」や、「ゼルダの伝説」といったアクションRPGの発展に繋がったことは間違いありません。プラットフォーマというのも、実に日本的なものだったのです。反対に、日本のゲーム史はMUD*、ひいてはバーチャル・リアリティへの道を閉ざされることになります。
 * 下記をご覧ください。
 この戦争が終わったら結婚しよう
 ウォーゲームのルーツはチェスであると言われます。プレイヤーは与えられた役割から戦争に勝つ――ゲームに勝つことを目指します。これはゲーム設定上の目的と合致しています。このウォーゲーム譲りの目的意識は、RPGに強く強く根ざしていますね。ゲームの目的はキャラクタを強化し、強敵をなぎ倒し、宝を手に入れて先に進んでいくことにあるわけですが、これはプレイヤーキャラクタが目指すところとまったく同じです。プレイヤー=プレイヤーキャラクタであり、プレイヤーキャラクタの目的=プレイヤーの目的なのですから。ロールをプレイするとはよく言ったものです。特殊な性質はあれど、やはりゲームはゲームなのでした。
 日本のゲームはというと、ゲームに勝つという枠組みまでは変わらないのですが、バーチャル・リアリティであったり、プレイヤー=プレイヤーキャラクタという概念は比較的希薄です。とっぴな話ですが、スーパーマリオをプレイしている最中に、自分自身をマリオに重ねあわせて考える人は余りいません。プレイヤーの目的とプレイヤーキャラクタの目的が衝突することさえあります。これをもっとも象徴しているのが日本のアナログのRPGで、単純にゲームに勝つことよりも、即興劇的側面や、キャラクタの先天的な個性を重視しているふしがありますね。同じコンテキストを持たないがゆえに、まったく異なったものとして進化したのでしょうか?
 日本のゲームでは、多くの場合プレイヤーが操るキャラクタは(デートシムを除けば)プレイヤーと別人であり、ゲームを構成する一要素に過ぎず、映画の登場人物や、舞台の上の役者のように見られています。このような、客席視点のゲームは欧米にもありますが、便宜上日本的なゲームと呼ぶことにします。俗に言うラジコン操作や視点操作も、客席視点を持つ日本ならではのものと言えるかもしれません。そして、客席視点ならば、ゲームが続く限りは「負け」ても構わないのです(街に災害を起こして遊んだり、自分のキャラクタを窮地に追い込んで遊んだりするように)。
 ひるがえって、VR的な臨場感や感情移入できること、一人称感覚で体験できることを重視しているのがこの頃の欧米的なゲームであるようです。はじめてFPSにスクリプトのシーンを導入したと言われるハーフライフは、映画的に演出するというよりもプレイヤーが受ける臨場感を重視しており、プレイヤー=プレイヤーキャラクタの弱さと、敵の怖さは衝撃的でした。プレイヤーとプレイヤーキャラクタの視点は完全に一致しており、舞台の上の役者ではなくなっています。欧米のビデオゲームにとって、VRのコンテキストはMUDから連綿と続いてきたものですが、日本においては同等の概念が無かった・あるいは薄く、せいぜい「ハビタット」でぱたり止まってしまいます。もっとマイルドにした「フランキーオンライン」も失敗でした。ある意味、日本のVRはMMORPGで蘇ったと言えるかもしれません。
 また、多くのゲームデザイナーは、表現しようとするシチュエーション(たとえばスーパーマリオは、ファンタジーな世界というコンセプトが無ければああはならなかったはずだし、戦国無双は、そもそもは歴史ものの合戦のシーンを表現しようとして作られたはずです)からゲームを考案するよりも、まず既存のデザインに手を加えて――今ある流れから新しいゲームを作ることを好むので、この溝をさらに加速させてしまうことでしょう。
 ウルジイズム
 よく、任天堂のゲームは今も昔も世界的に受け入れられると言われますが、これは大いに意識してやっているふしがあります。というのも、近年の任天堂のゲームは、言語的な理解・共感が必要とされるものを徹底的に取り除く・あるいはミニマルにする(マリオも、最初の頃はイタリア語みたいな巻き舌の訛りで喋っていたのに、もはやかけ声だけになってしまいました)ということを意識的にやっているようなのです。ファミコンの頃の任天堂のゲームは、ローカライズが意味も通らないほどに滅茶苦茶なことが日常茶飯事でしたが、最小限のテキストだけだったのでさほど問題にならなかったのかもしれません。反対に日本人も、欧米のミニマリスティックなゲームを受け入れる傾向があります。
 閑話休題 - 1980年までのRPG
 初のアドベンチャーゲームであり、初のインタラクティブフィクション(テキストのみで進行するアドベンチャーゲーム。IF)でもある「Colossal Cave Adventure」(Adventureと略す)が開発されたのは1975-6年。これに対して、Adventureの影響を受けて、後にIF市場を制覇するInfocomから発売される「Zork」が開発されたのは1977年。当時のゲームは(早くも)ネットワークを通じて広まっていくのが通例でしたが、ソースコードが簡単に手に入るわけではなかったため、この作品の場合はソースコード流出という形で広まりました。
 このようにしてゲームが広まっていくだけではなく、比較的大規模なネットワークゲームが早くから登場した背景には、メインフレーム上での開発だったため、大学が使用するARPANETなどのネットワークに乗っかることができた(そして幸か不幸か、簡単にコピーできた)という事実があります。
 「Zork」は独自のインタプリタ言語と英文に特化した圧縮メソッドを用いて大量のテキストを盛り込んだ他、柔軟なテキスト解釈エンジンやフラグ操作を可能にした意欲的な作品でした。
 このほか、1977年の主要な作品としては、また、「Oubliette」が存在します。これは後述する「Avatar」の原型となり、ひいては「Wizardry」の大きなネタ元にもなったものです(このことから、日本において多く見られる「Wizardry」が現代のCRPGの元祖であるという見解は正しいとは言えません)。この作品も数多くあるD&DコンパチのCRPGのひとつです。このブログを引用すると、OublietteがWizardryとなり、マイトアンドマジックとなり、バーズテイルとなり、ダンジョンマスターとなり、ウルティマIIIとなった(そして夢幻の心臓となりドラゴンクエストになった?)と言うことができるそうです。
 上記ブログのコメント欄には、信ぴょう性は不明ですが、とんでもないことが書いてあります。それによれば、MUD(マルチユーザーダンジョン)の「ダンジョン」とは、洞窟という意味ではなく、「Dungeon」という名のFORTRANに無断移植されたMDL Zorkのことを指しており、したがってMUDはCRPGというよりはインタラクティブ・フィクション(テキストアドベンチャー)のようになったとのことです。
 その「Avatar」ですが、これはOubliette同様後のネットRPGそして3Dダンジョンゲームの原型的なもので、PLATOの機能を活かしたグラフィックやチャットインターフェースを備えていました。このゲームは極めて先進的で、15ものフロアがあり、呪文を無効化するエリアや、水路、DND譲りのテレポータ(石の中にテレポートすれば死ぬ!)、回転床、シュート、ダークゾーンなど後のCRPGにあるほとんどの要素を網羅していました。それだけではなく、早くもマルチプレイヤーゲームにおける経済の要素が導入されていました。ゲーム内に存在する総通貨量は一定であり、店で販売されているアイテムの価値は取引量に応じて変化すらします。
 PLATOはそのグラフィックやオンライン機能から、掲示板やチャットルームの先駆けとなるだけではなく、数多くの先進的なコンピューターゲームを輩出・後のゲームに影響を与えました。
 後にUltimaを世に送り出すリチャード・ギャリオットも、1980年にApple][向けとして「Akalabeth」を開発しています。これは3Dダンジョンをグラフィカルに表示する機能を持っていました。グラフィカルなCRPGの分野ではPLATO上のゲームが先行していたものの、個人が手に入れられるコンピューター上で動くCRPGとしてはまだまだ画期的だったのです。
 我々が知っている「Rogue」は、1980年にやっと登場します。UNIXターミナル向けに開発されたローグは後のローグライクと呼ばれるスタイル(自キャラが「@」敵キャラがアルファベット、強いランダム性など)を確立した、というのはみなさんご存知のところです。
 現存するローグは全てクローンで、オリジナルのソースコードは行方不明(?)のようです。ローグクローンにも様々なバリエーションがありますが、最古のクローンのひとつはRogue 5.3 Cloneとも呼ばれます。日本ではダンジョンクローラ全般を指してローグライクと呼ぶ方が多いようです。
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