Shadowgate
この開発者クレジットの顔アイコンはなぜかフリーウェアのアイコン集に魔改造されて収録されたあげく色んなソフトに使われていた(?)
われらが日本でシャドウゲイトといえばクソゲーあるいは少なくとも変なゲームというイメージかと思います。この作品、もともとはMacventureシリーズという名目で、白黒時代のMacintoshにリリースされた4部作のうちの第3作目でした(デベロッパはICOM Simulations)。我々にとって有名なシャドウゲイトはケムコがファミコン向けに発売したもので、ほかのシリーズであるデジャヴや悪魔の招待状(Uninvited)も、同じくケムコから発売されていました。
シャドウゲイトといえばとにかく色んな方法ですぐ死ぬゲーム。実は、アメリカにおいてアドベンチャーゲームというのは、もともとはD&Dをコンピュータで表現しようとする過程で生まれた手法のひとつでした(もろに影響を受けているコロッサルケイブアドベンチャーやZork等。要するにコンピュータがゲームマスターで、プレイヤーは行動をコンピュータGMに対して宣言しているのだという考えかた)。
日本のADVですぐ死ぬようなゲームは少数派ですが(さんまの名探偵みたいに、そもそもゲームオーバーがほぼ存在しないようなものまであったり)RPGという名目であればレベル1のプレイヤーがスライムの軍団に理不尽に囲まれて死ぬくらいはあったような気がします。オールドRPGのノリで作られたシャドウゲイトのようなADVにおいて、愚かな行動を取ったら死ぬというのは割と当たり前だった……のかもしれません。でも、そうした背景を理解しても、シャドウゲイトは死に方のパターンが多すぎます。Youtubeにも死に方一覧みたいな動画が複数あるというレベルです。
クソゲーとして広く認知されるきっかけは、恐らくインターネット(90年代後半)におけるクソゲーブームにありそうです。1991年のファミコン通信オールゲームカタログを見てみますと、シャドウゲイトは5点満点中3点で(これはディスクシステムのスーパーマリオ2と同じ!)「オトナな雰囲気のアドベンチャーゲームだけどアイテムが多すぎ、難しすぎる」というような感じに書かれています。別に悪い評価ではないようですね?!
死にやすさにとどまらず、この4部作を変なゲームとして印象づけた元凶の一つが日本語版の奇っ怪なテキストです。詳しく知りたい方はこちらの記事(Legends of Localizationより)をご覧いただきたいのですが、原作のシャドウゲイトはRPG的な、古語風のプレイヤーに語りかける文章(汝は~といった感じ)となっている一方、ケムコ版のシャドウゲイトは一人称の、わけのわからないギャグを織り込んだものとなっています。それでもシャドウゲイトはまだ大人しいほうで、デジャヴや悪魔の招待状にいたっては児童向けのギャグ漫画のような、とてつもなくバカバカしいノリの文章になっているのですが。それこそ、原作のテキストが火吹山の魔法使いならケムコ版はなぜか桃太郎が出てくるスーパーマリオのゲームブックくらいのイメージです。
上記の記事で特にやり玉に挙げられているのが「自分を見」た際のこのテキストです。
Thou art truly a brave knight!! (汝はまことに勇敢な騎士なり!!)
↓
わたしこそ しんの ゆうしゃだ!!
一人称になった事で、ケムコ版は明らかにおかしな雰囲気が漂っているような気が……?
ほかにも、かの有名なこのテキスト。単に一人称になっているだけなのですが、やはり何かが狂ってしまっています。
It's a sad thing that your adventures have ended here!! (残念だが君の冒険はここで終わりだ!!)
↓
ざんねん!! わたしの ぼうけんは これで おわってしまった!!
あるいは、海外プレイヤーをもっとも困惑させたと思われるこのギャグ。
Bellowing like a fool, you leap off the bridge and into the blaze!! You are instantly fried.
(君は愚者のようにわめき、橋から灼熱へと飛び降りた!! 君はただちに焼かれた。)
↓
うおーっ!! わたしはさけびごえを あげ ほのおのなかへ ホップ ステップ ジャンプ…… かーるいす!!
わたしはもえつきてしまった
そういえばSFCゼルダのMCハンマーとかは海外版には無いんでしたっけ?
じゃあケムコが悪かったのかというと、そうとも言い切れません。当時のPC/Macのゲームによくあることですが、シャドウゲイトも大真面目なゲームかというと、コンピュータナードな、若干はめを外した雰囲気のゲームなのです。意訳の嵐とは言え、原文を一人称に変換するというポリシーは一貫しており、ある意味でこのケムコの翻訳はシャドウゲイトのイメージをバブル期のゲームブック的なノリに変換しようと頑張った結果なのかもしれません。